人狼鬼ごっこの天才ペテン師の話
昨日YouTubeで公開された人狼鬼ごっこのSixTONESが本当にあまりにも大好きな6人の時間だった。
とりわけ、人狼ゲームにおける振る舞いの最適解を叩き出していた自担である田中樹さんが惚れ惚れしちゃうくらい最高で、これが私のSixTONES初見だったらこの動画で沼落ちブログ書き上げられちゃうなと思ったから、とりあえず、ブログを書くことにした。
好きなアイドルの好きなポイントを言語化して残す作業を通して、好きの理由が頭の中ですっきりと整理されていく、その感覚の心地良さは、別に沼落ちブログじゃなくたって私の為になる。と、思う。
※以下、解釈は全て個人の感想です。いやこの世の全てはそうなんですけどね。
そもそもの話、この日のじゅりちゃんはとにかく楽しそうだった。OPトークからずっと沢山ボケて、ボケて、ひっついて、ころころ笑っていた。いくらなんでもかわいすぎる。
以前ANNでストチューブが盛り上がるか否かを決める要素について北斗くんが「じゅりがその時どんだけ元気か乗り気かが主軸だと思うよ」と言っていたことを思い出す。確かにそれ、あるのかもしれない。
鬼がわからない状態で鬼ごっこをするという最もオーソドックスな形で一度遊んでみた上での2回戦、じゅりちゃんは仕掛けに動く。
「お前は、」
「うん」
「俺より足が速いでしょ」
「うん」
「だから最後、お前と俺が一対一になったらお前は俺に勝てると思う。スタミナ面も」
「うんうん」
「お前が人狼だったとして」
「うん」
「(俺が)市民だったとする」
「うん」
「俺はもう、市民の情報全部渡す」
「うん」
「だからその代わり、自分のあれ(役職)を白状してほしい」
「一対一になった時?」
「一対一になる前、今!」
「いま…」
「一対一で(言ったことが)最悪違くてもぉ、」
「うん」
「お前勝てるでしょ?」
「うん」
「おんなじだったらそれはほんとの仲間じゃん」
「うん」
「お前何?」
「市民」
ゲームスタートの前に設けられていた話し合いの時間、慎太郎を呼び寄せて2人きりになってまるで作戦会議を開くかのように滔々と話し始めるじゅりちゃん。
きっとじゅりちゃんは、初めから慎太郎が人狼だと疑っていたわけではなくて、あくまでも動画を面白くするための撮れ高を作るために声をかけたに過ぎないのだと思う。
鬼が2人発生している可能性のある2回戦目において、より動画を面白くするために〝誰か〟に揺さぶりを掛けたかった。
その誰かを選ぶにあたっては、ゲーム性への理解が深い、かつ、言ったことを一度は正面から飲み込んでくれる素直さがあって(目をきらきらさせながら文節毎に丁寧に相槌を打ってくれる慎太郎ってほんとに愛おしい)、それと同時にシンプルに騙されて終わるだけでない察しの良さ、聡明さも兼ね備えた慎太郎が、じゅりちゃんにとって最適の相手だった。
私はじゅりちゃんが「慎太郎が人狼だと見破ってその上で揺さぶりをかけた」のではなく「このゲームにおいて揺さぶりをかけるべきは慎太郎だと思った」から声をかけたと捉えているので、慎太郎の役職や対応によって変わる結果を一つ一つシミュレーションしてみると、改めてこの人のクレバーさに平伏してしまう。
そもそも、あれでもし慎太郎が本当に市民だったとしても、場をかき乱すというバラエティとしての意味での目的は確実に達成されるわけだから、やっぱり慎太郎が人狼か否かというのはじゅりちゃんの人選において考慮する要素ではなかったんだろうなと思う。
もし仮に、あの場で慎太郎が人狼であることを告白していたら、俺も人狼だから協力プレイをしようとそのまま持ち掛けていた(まぁ4人との距離がそこまで離れていない以上は流石に初手で役職開示はしないだろうけれど)はず。
その上で、本物の人狼が2人いたなら、のちのち第三の人狼が現れて誰かが嘘ついてると揉める可能性もあって、それは動画として一つの盛り上がりどころにもなる。
そして、本当は人狼であるにも関わらず市民を名乗ってやり過ごされとしても、わざわざ声をかけてきたという事実からじゅりには何か作戦があったのかもしれないという印象を残すことができるわけで、結果的にその振る舞いによってその後の展開で慎太郎を一瞬じゅりが仲間だ、と信じさせることができたとも言える。
きょもじゅりと末ズが一箇所に集い、慎太郎がジェシーを捕まえた瞬間に自らも人狼と称して難を逃れたじゅりちゃん。
そんな教室での一幕も素晴らしかったけれど、私がとんでもないと思ったのは教室を出て廊下を歩いてる最中に「北斗さっきジェシーと追いかけっこして向こうの階段上がってきて、ジェシーまんなか来たから…慎太郎、(北斗は)多分奥いる」と他のメンバーの情報を伝えた上で「慎太郎!ジェシーと居て、俺きょもと行く」と一声かけて分離したところ。
別に人狼が捕まえた人を待機場所まで送り届けなきゃいけないなんてルールはないはずだけど、無言でしれっといなくなるんじゃなく、あくまでも残り2人を効率的に捕まえるための作戦として二手に分かれようという意図を示唆して離れていく、その話術が鮮やかだなぁと思った。
人狼ってやっぱり騙し合いや駆け引きがあることが面白さの要因だと思うから、そのきっかけを作ろうと動いたじゅりちゃんがバラエティの人としてすごく良い立ち振る舞いだったな、という話がしたくて、昨日はスペースでずっと喋ってたし今日は文章を書いてみている。
じゅりちゃんを見ていると、私は本当に頭の回転が早くて口が達者な人が好きなんだよな!と笑えるくらいストレートにそう感じさせられることが幾度となくある。
それと同時に、SixTONESにおいて決してじゅりちゃんが1人でその要素すべてを担ってるわけじゃなくて、6人で作り上げたコンテンツの中でじゅりちゃんの〝天才ペテン師〟が華麗に機能しているところが好き。
打っても響かない場所において聡明さは決して輝かないので、得意分野は違えど同じ目線で渡り合ってやり合える、そういう6人が集まって〝SixTONES〟をやっているところが本当に嬉しいし頼もしいと思う。
身体の大きさに合わない学習机に笑い合って、12年若返ったなんて言いながらみんなで学ラン着て廊下を走り回っている図は、終わらない青春の瞬間をお裾分けしてもらっているような感覚がして、絶対的にSixTONESの好きなところの詰め合わせみたいな動画だった。
これは沼落ちブログではないけれど、私は折に触れて今回のストチューブを観ては彼と彼らへの〝好き〟を噛み締めるだろうなと思う、そういう類の確信を得るには十分すぎるほどの衝撃と、それと同じだけの安堵があった。
初めて好きになったわけじゃなくて、ずっと好きだった人たちに対する好きの感情を改めて突きつけられると、人は衝撃と共に安堵を覚えるということを知った。
私はまだまだこの人たちのこと好きでいて良いらしい。
待機組が黒板で遊んだ諸々の形跡がおもろすぎるから全部見せてほしいとかメンバー同士で動きをわかり合いすぎてるのが愛おしいとかまだまだ言いたいことはいっぱいあるんだけれど、一旦このくらいで終わりにしておきます。
SixTONES、大好きだよ〜〜