100の言葉を浴びた

 

 

100回やったら会いましょう」という番組を観た。

 

素人でも100回やり続けたら達人の1回目と勝負ができるのか?という発想のもと、田中樹さんは就活生の悩みにアドバイスを贈る〝素人〟として、〝達人〟のアンミカさんと勝負をしていた。この時点でどう考えてもめちゃくちゃおもろい。自担、アンミカさんと戦うぞ!の気持ちで100個ものアドバイスをせっせと考えてフリップに書き溜めていた時期があったらしい。おもろ。

 

 

で、その番組で田中樹さん(普段はじゅりちゃんと呼んでるので以下じゅりちゃんと呼びます。癖……)が挙げた100個のアドバイスたちがどれもあまりに素敵な言葉たちで、大事に噛み締めたいなぁと思ったのでブログを書くことにした。

1つの悩みに100個のアドバイスを考えるという企画の性質上、決して100通りのアドバイスが挙がったというわけではなくて。むしろ、すっと筋の通った1つの思想を細分化したり多面的に見つめたりしながら100個の言葉にしたような感じ。ということで、それらの中で特に印象的だったものを挙げつつ、じゅりちゃんの言葉の奥にある〝物の考え方〟を自分なりに整理してみたいな、と思う。

 

 

 

さて、今回のお題となった就活生の悩みは、「失敗」に関すること。

 

Q.失敗を引きずってしまうので自分の夢に挑戦できません。どうしたらいいですか?

 

じゅりちゃんはこの悩みに100パターンの答えを考えた上でベストの回答を自選し、アンミカさんがその場で考えた一答目と勝負することになった。

 

彼が初めに出した答えは「他人は意外と自分に興味ない!」だった。

 

これは雑誌でも折に触れて言っていることで、じゅりちゃんにとってある種の人生訓のようなものなんだろうなと思う。

 

後輩から悩み相談をされたことのないアドバイスの素人、と銘打って登場したものの、常日頃から自分の中にしっかりと根差した信条が確かにあることを、一答目からまるで隠せてないよ。好きだな。

 

で、問題はどうしてじゅりちゃんが最初にこの答えを書いたのか。もちろん自分の中でとりわけ大事にしているが故にすぐに出てくる言葉だったという側面も大いにあると思うけれど、正直に言ってここで話されたエピソードは直接的には悩みに答えるものではなかった。

 

〝自分もSixTONESのメンバーもジャニーさんにめちゃくちゃ怒られたりしたけど、次の日に意外とケロッと普通に話しかけてくるんですよ。怒るって感情は一時的だから。次の日には怒ってる側って忘れてるんですよね。怒られた側はめっちゃ覚えてるけど。だから今まったく気にしないです。〟

 

きっとこの話のあと更に言葉を続けていたら、悩みに対する答えの部分にまで言及できただろうな、というか、結論から言うとその言語化こそが100個の答えの中のベストアンサーとして選ばれていた。

1つの悩みに対する答えを100個も考えてみた結果、最初に出したものをより詳しく分かりやすく肉付けした答えがベストになるあたりも、彼の思想・価値観の一貫性を感じて好きだなと思う。

 

じゅりちゃんが最後に選び取った答えは「誰かのための夢ですか?自分が叶えたい夢なら誰かを気にしちゃいけない。」だった。

 

〝失敗を引きずるとか恐れるって、誰かの目を気にしたりとか、そうやって誰かのことばかり気にしすぎてる夢って、もはや誰かのための夢になってない? 叶えたい、自分の夢って言ってるんだから、誰かを気にしちゃいけないんじゃないかなって。〟

 

じゅりちゃんは、失敗したら怖いとか恥ずかしいとかいう感情は、自分の行動が他人の目にどう映るか、他人にどう思われるか、そういうところに執着する心に起因していると思っている。

確かに、駅や通りで転んだら恥ずかしいけど、仮に自分しかいない空間だったらどれだけ転んでもなんとも思わないもんね、と考えて、ひどく腑に落ちた。痛いは痛いけども!()

じゅりちゃんは、失敗すること、をあくまでも自分自身の問題だと捉えている。

 

「自分のミスに気づけない人も大勢いる。それもあなたの才能だと思う。」

「傷を知恵に変えていく。それが自分を守ってくれる。」

「失敗を引きずって反省するのは悪いことじゃない。それをどう成功につなげるかが大事。」

「失敗の仕方を知ってれば、いざという時に失敗しない。」

 

失敗によって傷を負って痛みを抱えたとしても、そこまでは事象に対して起こって当然の事実で、それを恥ずかしいと思った時点で自分自身を離れて他者の目が介在している。じゅりちゃんの思考には、物事に対するそういう明確な区別、線引きがあるように思う。

失敗を引きずるということ自体が「他人のことを気にした結果」だけど、実は他人はそこまで自分に興味を持っていないんだから、それに阻まれて自分の夢に挑戦することを躊躇するのはもったいないことだよ、とじゅりちゃんは説いていた。

そうやって考えてみると、彼がマイベストに選んだアドバイスは、やっぱり一番初めに瞬発的に出した答えと地続きの言葉だった。

 

100個の中には、周りの目なんて関係ないよ、と訴えかける答えが他にもいくつかあった。

 

「自分の夢に他人は関係ない。」

「誰の為でもない。明日の自分の為。」

「他人のために時間を使う暇があるなら一番身近な自分のためになることをしよう。」

「全員を納得させるのは難しい。嫌われる勇気も必要。」

 

そして、他人の目を気にしても仕方がないのと同時に、自分の夢は自分だけのもので、自分の努力によってでしか叶えられないものである。

そういう至極真っ当な考え方を、じゅりちゃんは色んな形で繰り返し言葉にしてくれる。

 

「あなたの人生を代わりに良いものにしてくれる人はいません。どうするかは自分次第。」

「理想を語るのは誰でもできる。それへの努力は自分にしかできない。」

「必要以上に頑張ることが努力だと思う。してるだけで充分すごい!」

「誰かのように成功しようとせず、自分らしく失敗することが大切。」

 

事実を事実として捉え冷静に見つめるじゅりちゃんの言葉には、夢見がちな理想論や安易な甘やかしは少しも宿らない。

 

「筋トレや勉強に何ヶ月も何年もかけるのに、性格は一瞬や一言で変わると思ってる。まずは今の自分を受け入れて。」

 

どんなに素晴らしい思想でも、あくまでもそれを持っているのはアドバイスを贈った人自身で、言葉をもらう側は受け取っただけでは何も変わっておらず、その考え方を自分の中に染み込ませるために行動を起こし続ける必要がある。じゅりちゃんは、耳触りの良い言葉を〝名言〟として届けてあげるだけではなんの意味もないことをきっと知っていて、それって持ちかけられた悩み相談に対してなんて誠実な向き合い方なんだろうと思った。

だから、頑張れば必ず夢は叶うから頑張れ!なんて単純なお守りを授けないところにもまた、信頼を寄せてしまう。

 

「失敗をしたら成功する保証はないけど、成功した多くの人はそれ以上に失敗を繰り返してる。」

「やらなきゃ何も得ず失敗になる。それならやって学べる失敗を。」

「今できることが明日もできるとは限らない。」

「目標があるのに努力を止めることの方がよっぽど恥ずかしい。」

「頑張っても理想通りにするのは難しい。けど諦めた分だけ望んでない方向には進む。」

「頑張ったからって良い方向に進むとは限らない。でも諦めたら悪い方向に進むことは目に見えてる。」

 

これは努力をしないと前に進めない、だけじゃなく、後退していく他ない世界でずっと生きている人の言葉で。

だけど、その一方で強さだけを語って突き離すこともしないのは、紛れもなくアイドルの言葉だなとも思う。

 

「夢は逃げない!逃げるのはいつも自分。」

「目の前の失敗から逃げてもいい。遠回りでも道はあるよ。」

「失敗は回り道。行き止まりじゃない。」

「壁は壊す。乗り越える。それでもダメなら遠回り。」

「焦らなくていい。最後にたどり着いてれば。」

「人生は一方通行。前にしか進めないんです。」

「過去の自分を正当化するために今の自分が頑張ろう。」

 

夢を叶えるための道は一つじゃないから、逃げたって良い。時間はかかったとしても、それでもちゃんと望む場所に行けることだってある。

歩むための道は数多あるけれどそれと同時に人生は不可逆なものだから、過去を肯定するためにできることは未来の在り方を変えること、要するに「今頑張る」しかない。但し、たとえ一つの失敗で閉ざされた道があったとしてもそこに固執しなくても大丈夫。

ここまであれこれ語ってきておいて私はじゅりちゃんの過去を文献でなぞることしかしていないのでこの場で知った気になってあれこれ触れるつもりもないけれど、ずっともがいて踏ん張ってきた人だからこそ言える、血の通った鼓舞の言葉だなと思う。

綺麗事じゃない、けれど冷たくもない。これまでの人生の歩みの中で生まれ、自分を支えてきた信条を語るじゅりちゃんの〝らしさ〟は、この言葉からもありありと伝わってくる。

 

「あなたの心を救う言葉をかける人も、偉そうに説教する人も、あなたの憧れの人も、みんな失敗してたどり着いたんです。」

 

じゅりちゃんは、自分の言葉が届いた対象にどう捉えられるかを限定せずにそう語る。とても誠実な寄り添い方であるように思う。

この言葉があなたの心を救ったかもしれないし、単なる偉そうな説教だと思われたかもしれない。そのどちらだとしても、少なくとも自分もあなたのように失敗をしながら歩んできたし、それはあなたの憧れの人も同じなんだよ、と。

たとえその場でもらったアドバイスそのものが上手く響かなかったとしても、この言葉を心に留めておくことで、私はいつか自分にとっての最適解ときちんと出会えるような気がする。

 

とは言え当然のことながら私は当事者の就活生ではなく、じゅりちゃんの言葉を愛好するオタクなので、そんな私に恐らく最も響いたのはこの言葉だった。

 

「叶わなくても見たい夢見て追いかけられれば俺は楽しい。」

 

見たい夢を見てその夢を追いかけている時間それ自体を楽しいとアイドルが言ってくれること、ファンとしてこれほど幸福なことはないなと思う。

 

自分の番組を持ちたいと思ってるけどまだまだスキルが足りないから沢山の番組に出て腕を磨いていきたいと雑誌のインタビューで語っていたこと、そして実際に番宣の有無を問わず沢山の番組に出演して奮闘していること。憧れのCreepy NutsさんとのFNSコラボを目前に、続けるだけじゃ意味ないけど、続けてなきゃ意味は生まれないからね、と言葉を綴り、本番では少年のように瞳をきらきら輝かせながらラップを披露してたこと。

一つの夢を叶えるために自分の現時点での立ち位置と力量を冷静に客観視した上でひたむきに続ける努力と、一つの夢を叶えたときに浮かべる表情から溢れた煌めき。

じゅりちゃんが見た夢を追いかけている〝過程〟もその〝結果〟も私の目には本当に眩しく特別に映るから、アイドルでいてくれてありがとう〜〜っていつもいつも思う。じゅりちゃん自身がアイドルでいることを選び続けてくれたおかげで、私は彼を見つめることや彼について考えを巡らせることを許されている。

生身の人間が選択的に背負ってくれた虚像を解釈し愛でるという、なんだかとてつもなく業の深い行いに日々勤しんでいる私ですが、彼がこの仕事を楽しいと言ってくれる限りは、その言葉を素直に丸呑みしてオタクを続けていこうと思います。

 

私はアイドルの思考と価値観の言語化に触れる瞬間とそれを咀嚼することによって彼の虚像の輪郭を解釈する時間が大好きなので(だから業だって……)、今回の番組が本当に本当に有難かった。一度に100個もの本気の回答に触れられることって、きっと後にも先にもない。

〝アドバイスの素人〟という立場で番組に呼ばれていたものの、彼の言葉に対する感度の高さが前提にないとこの企画にはキャスティングされなかったんじゃないかな、なんて勝手ながらそう考えてみると、これはある意味じゅりちゃんの「言葉」が仕事に繋がった結果と言えるのだと思う。

 

言葉が好き、と一口に言っても、詩的な表現が好きだとか掴み取る単語のセンスが好きだとか言い回しの面白さが好きだとか色々とあって、私はじゅりちゃんの言葉の網羅性の高さと、その奥に覗く思考の形そのものが好きなんだと思う。誰かを置き去りにしない言及範囲の定め方とか、否定表現を用いるときに逆接の前提を置いて語気を柔らげる配慮をするところとか、そういう細やかだけど心地の良い言葉遣いによって、真っ直ぐな思いがきちんと真っ直ぐに届く、そこが堪らなく好き。

この人の物の見方や考え方と、それをこちらに伝えるときに選び取る言葉が好きだー!!!と常々めろめろになってきたけれど、100個もの本気の言葉を受け取ってみて改めて、これはもうとんでもなくめちゃくちゃに好きだな、と思った。

それと同時に、私自身という生身の存在から切り離したところに彼の好きな言葉だけを大事そうに飾っておくのはもったいないな、とも思った。

私も、この言葉が好き!だとか、その言葉を紡ぐ彼の人生観が好き!というだけじゃなく(オタクとしての私はいつもここまでしか辿り着けない。自分自身に役立てようともせず、解釈をこねくり回して遊んでしまう)(改めて言葉にしてみると普通に最悪すぎる)、アイドルのくれた言葉を自分の人生を大事に彩る一つにしてみたい。

 

もちろんそう思ってみただけで人生が劇的に好転するなんてことはなく、まだしばらくは転職に二の足を踏みそうだし最近しょっちゅう電車で寝過ごしてるし家計簿はちゃんとつけられてないし部屋の片付けも進まないしそういえば昨日の洗い物もシンクにそのままになってるし(突然の駄目生活告白)、相変わらず頑張れてないことばかりだし変わる気配もしばらくはなさそうです。だけど、そういう、魔法みたいな特効薬なんかじゃないところも含めて、私はじゅりちゃんの言葉が好きなんだと思う。長年築き上げてきた性格は一瞬や一言で変わらない。本当にその通りだ。

 

それでも、100個の言葉を大事に咀嚼し続けて、いつか1つでもきちんと自分の中に根差した思考になればいいなぁ、なんて。