2021年アイドル短歌まとめ

2021年、たのしかった〜〜!!!(少々気の早い総括)

 

今年はいつも通り二宮くんを見つめると同時に光の速さで転がり落ちたSixTONESの多忙さに食らいついてたらあっという間に過ぎてしまったな、というのが正直な感想です。ツアーに行ったし、スタオベもドリボもニュージーズも観たし、加えて雑誌や毎週のANNや日々のテレビ出演を追いかけてたら気付いたら12月です。まさに光陰矢の如し。

 

それから、今年の私のオタク活動を振り返る上で、アイドル短歌との出会いは欠かせないものでした。

もともと短歌を鑑賞することは好きだったのですが、自分で作ってみるという選択には中々至れていなくて。それはきっと日常を切り取ることは私にとってあまりにも漠然としていて何から手をつければいいのかわからないからで、〝アイドル〟という明確な題材がある方がイメージを持ちやすかったのだろうと思います。

 

今年はWEB歌集『J31Gate』さんの第17回「夢」から第22回「ショウ(変換自由・詠み込み必須)」まで全6回、自担である二宮和也さんと田中樹さんのことを考えながら短歌を詠みました。

せっかくなのでそれらをまとめておこうかなと思い、ブログを開いた次第です。他の方の短歌メイキングを読むのが好きなので、覚えてる限りで試行錯誤の過程も書き残しておこうと思います。

 

17回「夢」

 

 

 

悪い夢 なんて見なくていいんだよ

わたし貴方の獏になりたい/田中樹 

 

 

彼の見せてくれる強さや確かさがとてつもなく好きです。その一方で、やっぱりあたたかい愛だけが降り注げばいいのにと願ってしまうのはオタクのエゴ、だけど本心でもある。

 

メモ帳を振り返ったらこれは元々「夢描く貴方を食べて生きている」という上の句だったみたいです。消費行動とオタクの業の話がしたかったんだろうな。そこから下の句を考える過程で、同じ〝食べる〟でも悪夢を食べる獏のような存在であれたらいいのにな、と思い、がらりと雰囲気が変わりました。

 

 

この生が至極と悟る君なれば

来世夢見る機械人形/二宮和也

 

 

これはananで二宮くんが来世について「ロボットの犬とか、ウォーターサーバーとかライトとか、ボタンを押すと動くような無機物がいいです()。だって、有機的なものに生まれ変わっても、いま以上の人生なんてないと思うから」と語っていたことを、自分の感想を抜きに殆どそのまま詠み込みました。

二宮くんがここまで言い切るほどの最良な年月を見つめていられたことを、勝手ながら誇らしく思ったりします。

 

18回「音」

 

 

 

歓声に代えて紡いだくちびるの

君の名前が「好き」になること/田中樹

 

 

声を出せないコンサート会場、マスクの下でこっそり開いてみた口の形は、〝好き〟も〝じゅり〟も一緒だなぁ、という気付きの歌です。

元の上の句は「ぱくぱくと音なく開く唇の」でしたが、コロナ禍のコンサート会場というニュアンスを加えたくて今の形に。唇くちびるの表記の変更は単純に趣味です。

こういうちょっとした仕掛けを考えるのが好きなんですけどあまり上手くできたことがなくて、ただこの回の短歌はそこに気付いてもらえてたくさん感想もいただけたので個人的に思い入れの深い一首です。

 

 

19回「夏」

 

 

海とギャル ピアスにサングラスが似合う

君アイドルでほんと良かった/田中樹

 

 

田中樹さん、ビジュアルの属性として人生で関わったことのない(正確に言うと怖がって勝手に避けてきた)タイプの人すぎて、アイドルじゃなかったらこの人の言葉選びの思慮深さとか、物憂げな表情に底無しの魅力があることとか、どれも絶対に知ることはなかったし、ましてや「じゅりちゃん」なんて呼んで愛でることもなかっただろうなぁ、と思います。アイドルとして出会ってくれてありがとう〜!の気持ちしかないのですがそこをあまり上手く組み込めなかったような気がして、ちょっぴり反省してる一首です。

字数としてぴったり嵌まる固有名詞を並べた短歌を作ってみたかったのでそういう意味では満足です。語感の良さから割と面白がってもらえたようで、普段この企画を見ている方以外からの感想を一番いただけたのはこの回でした。ちなみに、韻を踏める言葉は読み上げたときにリズム良く感じられると思っているので意識することがあります。今回で言うと「海とギャル」と「罪と罰」で韻を踏めるし(…)

 

 

人工の風吹く部屋で微睡んで

日差しを厭う 君が眩しい/二宮和也

 

 

自然光の下で具合悪そうにロケしてる二宮くんがコンサートでは自ら発光してるみたいにぴかぴか輝いて見えて、それがとてつもなく好きでした。

またいつかその日が来ることを祈りつつ

 

出した歌の数はじゅりちゃんの方が多いんですけど作りやすさで言うと二宮くんの方で、それは単に見てきた時間の違いからくるアイドルに対する自分の解像度への自信の差なのかな、と思います。いくら見てもその人の本質を掴むことなんてできないとはわかっているけれど、やっぱり「この人のこの部分を短歌にしよう」と思いつくまでのスピードは圧倒的に二宮くんの方が早いです。

 

 

20回「色(アイドル名伏せ)

 

 

 

咀嚼した言葉で君は色付いて

痩躯が愛をむしゃりと喰らう / 田中樹

 

 

血肉とした言葉が彼自身の魅力で、そこ目掛けて注がれた愛情を、薄い身体でお腹いっぱい食べてほしいなと思います。喰らえど喰らえど満たされぬ腹、と歌う愛されたがりのアイドルがいっとう好きです。

 

多分これを考えていたときに「あいつ今何してる?」でじゅりちゃんが芸能界で生きていくなら言葉を知っておいた方がいいから読書をしなさい、と勧めてくれた中学時代の恩師の話をしているのを観たんだろうな。手渡された一冊の本で読書の楽しさを知り色々と本を読むようになって、そこで得た言葉が今の仕事に役に立っていると語るじゅりちゃんが本当に素敵で、私が彼に感じる魅力のうちの大きな一つである〝言葉〟の根源を見せてもらえたことが堪らなく嬉しかったので、これを短歌にしようと決めたように思います。

 

題材の明確さもあって上の句は割合すんなり決まり、下の句は幾つかの候補で悩みました。

 

咀嚼した言葉で君は色付いて

これが武器だと掲げて笑う

 

じゅりちゃんにとって語彙の力は間違いなく武器ですが、〝掲げる〟という言葉を使ってしまうとどうしても持ち物のニュアンスが強いように感じられ、言葉を自らの血肉として落とし込んでいるとした上の句との繋がりが取れないなぁと思い却下しました。

 

咀嚼した言葉で君は色付いて

あとは愛だけ食べて生きるの

 

これは響きとしては結構気に入ってるのですが、じゅりちゃんはこれからも絶えず言葉をインプットしていくだろうから「あとは愛だけ」は解釈違いだな〜となりました。

ただ、咀嚼食べるに繋げるのはいいなと思い、〝咀嚼して身につけた語彙によって放たれる魅力に注がれた愛を食べる〟というイメージに定まりまった形です。

「痩躯」「むしゃり」あたりの単語選びは単純に趣味なんですけど、じゅりちゃんのカリカリの身体(ガリガリではなくカリカ)を詠み込みたかったのと齧り付く勢いを表現したかったんだと思います。

 

 

21回「数」

 

 

悪魔の数字と人は言う三桁が

浮かぶレシート撫でている君/田中樹

 

 

お会計が666円だと「お!」と思うし初詣のお賽銭は666円に決めてるし、咄嗟のボケで出てくる数字はしょっちゅう6だし、誰がなんと言おうと自分が〝これ〟と決めたものへ向ける愛情に底がないところが堪らなく好きです。

 

じゅりちゃんの短歌は一般的にマイナスな印象を持たれる言葉を別の角度から見てみる構図がよく似合うように思います。それは本人が所謂王道のキラキラしたアイドルというよりもギラついたダークヒーローの雰囲気を纏っているからかな、なんて(それと同時に己が「ジャニーズ」で「アイドル」であるという事実に強い拘りを見せてくれるところも好きです)

そろそろ句またがりで作ってみたい!を叶えられた一首でもあります。

31文字という限られた文量だからこその悩みですが、説明が不足してるかなぁと思って取り下げたのは下の二首。

 

人に忌み嫌われてきた三桁の悪魔が踊って見えるレシート

 

人に忌み嫌われてきた三桁の悪魔が踊るレシート、かわいい

 

改めて見るとこれはこれで好きかもしれない(自画自賛)

 

 

22回「ショウ(変換自由・詠み込み必須)

 

 

 

「商品名:アイドル」と刻んだ身体

それで生きてく だから、愛でてね?/田中樹

 

 

5thシングル『マスカラ』のプロモで出演したラジオでカップリング曲『フィギュア』のことを「ある意味商品みたいなものだと思うんですよ僕たちって。アイドルっていっぱいいて、その中で僕たちがどう強く生きていくか。フィギュアに収まらず、1つの商品に収まらず。」と語っていたことが忘れられず、その徹底した客観視の言葉が堪らなく好きです。それを「自分たちだから言えるんですけど」と前置きしてから語っていたことも。

 

私はアイドルの像を商品として捉えることを実はそこまでネガティブなものとして考えていません。それはじゅりちゃんが雑誌で「俺らって、アイドルという人種として生まれたわけじゃなくて、職業としてアイドルを全うしてるわけじゃん。だったら、自分の選んだ職業に責任を持たないとダメでしょ」と語っていたところにも関係しているように思います。

パッケージ化されたアイドルは生身の人間を構成する全てではなく、あくまでも仕事として選び取られたその人の一部分であると考える方が健全なのではないか?という。

私がアイドルを見るときの基本のスタンスは、「彼らが見せたいと思って見せてくれる姿だけが全て」です。これは、彼ら自身が商品とすること良しした部分だけを美味しく食べることが虚像を背負った人間を消費する業に対して私が示せるせめてもの誠意だと思っているからに他なりません。同時にこの自覚を免罪符にしてはいけないこともわかっています…(以下堂々巡り)

 

〝愛でてね?〟の言葉は年が明けて最初の俺リリ更新で「今年もよろしくね?たくさん愛でてね?」と言われたところから。クエスチョンマークによってこちらに行動を委ねてくるところがいじらしくて、読み上げたときに語尾がぴょんと跳ね上がるところもかわいくて好きだなとか思う。

 

下の句の頭は「纏って生きる」「この身で生きる」なども考えていましたが、「それで生きてく」が一番しっくりきたので決めた形です。

私が規定するアイドルは生身の人間自身とは異なる場所に位置するものですが、今回に限っては彼の内面に組み込まれている要素であることを示したく、その意図の中で「纏う」はあまり適切ではないように感じました。また、今までもこれからも、という意味を付帯させたく、「生きる」ではなく「生きてく」を選びました。

「これで生きてく」と「それで生きてく」で最後まで迷っていましたが、「これ」より「それ」の方が話者から遠い場所の話をしていると読めると思い、後者を選択しました。「纏う」を辞めた理由と併せると一見矛盾しているように感じられるかもしれませんが、他ならぬ自分自身のことを少し離れたところから語ることが私の捉えるじゅりちゃんらしい客観視の目線だったりします。

 

他にも、受け身ではない表現にしたくて「刻まれた」ではなく「刻んだ」を選んだり、アイドルを全うする、「だから」愛でてね?という、対価とまでは言わないけれどそれに近いような接続詞を使うことで底にあるドライな感性のニュアンスが出せないかなと思ってみたり、ちょっとした単語の違いに割とこだわった一首でした。一度やってみたかったアイドル目線の短歌を初めて作れた回でもあります(視点をそちらに置くことの危うさについては後述します)。たくさん感想いただけて嬉しかったなぁ。

 

 

甘くって、賞味期限のないものは?

アイスクリームまたはアイドル/二宮和也

 

 

「アイドルを名乗って笑われたら賞味期限が切れたんだろうなと思う」といつかの日に語っていた二宮くんの視点が堪らなく好きで、だけど同時に寂しくて、彼が歳を重ねた日を祝うたび一生笑ってやんねーぞ!と思っています。

低温管理されるアイスクリームは品質低下が起きにくいため、賞味期限の設定がないそうです。解散ではなく活動休止を選んだ嵐のことを私は〝冬眠中〟なのだと捉えていて、そんなこと考えつつなぞらえてみました。どちらも甘い幸福の味がして、賞味期限がなくて、アイから始まる言葉です。アイドルは冷たくはないけれど。

 

実はこの歌は当初全く違うもので(詠みたい内容は同じでしたが)、〆切直前にがらりと変えた一首になります。

 

麦溜を呷って笑い飛ばしてよ

賞味期限の切れぬ偶像

 

麦溜を呷って賞味期限など

なかったことを知る 夜明け前

 

 

麦溜(ばくりゅう)とはウイスキーのこと、度数の高いお酒もまた賞味期限の設定がなく、アイドルもそうであればいいなと思いながら詠みました。

お酒を飲んだときに喉から食道を通って身体全体が熱くなるあの感覚をアイドルに向ける熱狂と高揚に重ねつつ、だけど私の中でこういうお酒の短歌は二宮くんではなくじゅりちゃんなんですよね。二宮くんで詠むなら甘いものの方がいいなと思ってアイスクリームにしましたがその決断が締切日の23時半だったので我ながらどうかと思います。何事も余裕を持って取り組むべき(それはそう)

 

 

貴方って氷菓みたいに甘くって

賞味期限もないし好きだな

 

これも読んだ時のリズムとしては好きなんですけど、アイスもアイドルも「賞味期限がないから」好きというわけではないんだよな、と思って辞めました。

 

そして本当に時間がなかったので推敲が間に合わず提出には至らなかったのですが、この形も結構気に入っています。

 

 

甘く、賞味期限がない。でAIの魔人が「アイス?」(いいえ、アイドル)

 

言わずもがなアキネーターのことです。

 

 

私とアイドル短歌

 

仰々しくサブタイトルをつけてみましたが要するに総括として一年弱やってみての感想と自分なりのこだわりを書いてみようのコーナーです。

とは言え本当に一年弱しかやっていないので大したあれもないのですが、まぁ、その時の感情はその時に書き残さないと薄れていってしまうものなので、記録として。

 

22回で初めてアイドル目線の短歌を作りましたが、アイドル目線の短歌、めちゃくちゃに危ういな、と思っています。ファン目線の短歌はあくまでも「私の感情の言語化です」あるいは「架空のファンの感情を想定しました」と言えるけれど、アイドル目線となるとそうもいかない。それだって実際には「私が見ている◯◯くん」の描写に他ならないのですが、受け取った人は完全に「◯◯くん」の感性であると認識する可能性が少なからずあるからです。誤認を生むほどの高い解像度で作っていますという自負があるわけではもちろんないですが、可能性の話としてね。

しかしながら受け手の感想をコントロールすることはできないので、結局のところ私にできることは真摯に「私が見ているじゅりちゃん」の言語化に努めることくらいなのでしょうが。それから、何をもって否とするのかの線引きは難しいけれど、アイドル目線のアイドル短歌を詠む時はいつも以上に「アイドル自身のイメージを損ねかねない内容ではないか?」という点に注意を払う必要があるとも思います。

22回に提出した短歌がこの部分をきちんと満たせていたのかは正直言ってわかりません。解説まで読んでもらえれば伝えられるかなとは思いますが、全員がそこまで目を通すわけではないですし。

そういうわけで、アイドル目線の短歌というものは危ういし、難しいなとは感じつつ、鑑賞者の立場としては面白いアプローチであると捉えているので、これからも挑戦していきたいと思います。

 

それから、たったの9首ですが短歌を提出してみて、自分のなんとなくの傾向はわかったように思います。

やわらかい言葉が好きで、「食べること」をキーワードにすることが好き。別にテーマに沿って作ったわけではないので提出することは恐らくないですが、そういえばこんな短歌もメモ書きされていました。

 

 

よく食べてよく寝てほしいでもそんな

声は届かず笑ってほしい/田中樹

 

 

これは「ちゃんと食べてる?」とよく聞かれ、その度に「食べてるけど、一回であんまり量食えない」と説明し続けるのを煩わしく感じていた、というインタビューを読んで咄嗟に浮かんだものだと思います。

よく食べてほしいのもよく寝てほしいのも純度100%の本心で愛だけど、正直言われる側からしたらそうすべきなのは分かってるよ!ってなるんですよね。だから、私はじゅりちゃんがよく食べてよく寝てくれることを勝手に願っているので、そんな声が届くことなくただ現実として叶ってくれたらそれが一番いいな、なんて思います。健康でいてくれ〜〜()

 

結構気に入ってて今後のJ31gateで機会があれば出したいと思っているのでここでの掲載は差し控えますが、そういう歌もだいたい食べること・食べ物が発想の出発点だったり。

これは私が「商品として差し出されたアイドルを食べる消費者である」という自覚が存外強いことと、食に興味がないと言って憚らないじゅりちゃん(じゅりちゃんほどでないですが二宮くんも割とそのタイプ)が食べているのが食べ物じゃないとしたら何だろう?という問いに起因するものだと思います。

この問いに対する今のところの答えが第20回の「言葉」と「愛」に現れていて、第22回の「愛でてね?」にも繋がっているのかな、なんて。

 

先に述べた今後提出したい歌というのは二宮くんを食べ物になぞらえたもので、第22回の「アイスクリーム」「賞味期限」の例にもある通り私は二宮くんを詠む時は食べ物自体に焦点を当て、じゅりちゃんを詠む時は食べるという行為に焦点を当てているように思います。二宮くん、お餅だし、美味しそうだもんな……

 

傾向がわかったからと言ってだからどうというわけでもないのですが、こうして改めて振り返ってみると自分の考え方や向き合い方のスタンスが掴めてくるな、と。

私が好きなアイドルのことを言葉で綴る時、その行為はやわらかい布でくるむことに似ていて、もちろん日常的に使っているTwitterやまとまった文章を置くブログの場がその表出の最たる例ではあるものの、短歌という表現においても同じであると言えると思います。むしろ、31文字というごく限られた尺の中で彼らを語るにあたっては、より丁寧に布を織っているのかもしれません。日頃のツイートもそれなりに気を払って書き綴っていると自負していますが、言葉を削ぎ落として作る短歌はいつも以上に取捨選択の難しさを感じるし、同時に頭を悩ませるその時間が面白くもあります。

 

インプットした言葉を使ってしか喋ることができないから私は活字を追いかけるし、練習することでしかアウトプットは上達しないから私はそれを積み重ねる。

アウトプットが上手くなりたいと願うのは間違いなく「抱いた感情を的確に伝えたいから」で、ぴったりの言葉を選び取ることができれば「感情の鮮度を保つことができると思うから」です。書いておかないと忘れてしまうものがあまりにも多く、そして書いたところで薄れていってしまうことも否定できなくて。どれだけ言葉を尽くしたとしても〝完璧〟に辿り着くことはなく、それでも、せめてもの抗いとして私は言葉を探し続けているのだと思います。

それにしてもツイートは大体140字ぎりぎりだし複数ツイートにまたがることもしょっちゅうだし、ブログを開けば冗長に語り続けてしまう(ここまでで約9,000字ありました)ので、31文字で書き切る練習、めちゃくちゃ大事かもしれません。(笑)

 

 

 

短歌、大変だけど楽しかったな。

来年も自分のペースで続けていきたいと思います。